
なぜ私が発信を始めるのか
26歳で資産1,000万円を達成したプロセスを言語化したい
皆さんは今どれくらいのお金を「資産」として保有しているだろうか。20代の平均は「150万円」であったり、全体では「1,000万円」を超えるとも言われている。僕は学生時代それが怖かった。100万円はおろか50万円でさえ想像できずに本当に貯められるか不安だったのが今も目に浮かんでいる。
そんな不安は幸いにも杞憂に終わり今では資産が1,000万円を越えることが出来た。
これが1つの自分の中での節目として、どうすれば貯蓄を増やしていくことが出来るのかということを本ブログを通じてアウトプット出来たらなと思っている。
こういう記事ってたいてい「私が実践したすべてを有料マニュアルで余すことなく教えます」とか言うんだろうけど、
正直1,000万円って「たかが1,000万円に過ぎない」通過点。情報商材にするまでもないので、このブログで細々と書いて
日本の誰か1人でも響いてくれたらと思う。
「節約」は辛くないことを周知させたい
節約っていうとどこか窮屈な生活そうな暮らしをしないといけないような雰囲気がある。
もちろん、上がりきった基準を下げることは容易ではないのかもしれない。
だが、私が伝えたいことはそれぞれが興味のないジャンルの節約は意外にもできるんじゃないかということだ。
あなたの趣味は何でしょう 。その趣味を「節約のために削ってください」というのはきっと激しい抵抗を生むのではないだろうか
一方で例えばファッションが興味のない人に対して「節約のために削ってください」と言われたらどうだろう。
きっと削る努力をするだろうし、あなたはきっと「どうしたら節約できるかな」と自然と考えるはずなのだ。
そんなきっかけを私はこのブログを通じて伝えたいと思っている。
少子高齢化や税負担率の増加がトピックに上がる昨今で、実際問題我々「若者」が使えるお金は減っていることは間違いない
そんな世の中だからこそ無理のない節約をとおして自分らしく生きていくためのヒントになればと思ってこのブログを開設したのだ。

私のバックグラウンド:「すね」をかじっていた学生時代
生まれてから大学まで実家でゴロゴロ
私はよくある一般的な家庭(?)に生まれた。名古屋市で生まれて大学時代まで実家で生活していた。
都心から少し離れたところに一軒家で生活しており、兄弟もいる家庭で育った。
兄弟仲はかなり悪かったと思う。よくケンカしてたし、10年くらい口もきいてない時期が実際にあったり、、
金銭面でいえば表向きは貧乏とは言えない生活はできていたと思う。実際に大学も奨学金なしで通わせてもらってた。
小中高と好きな部活動はさせてもらってたし、必要な道具があればなんだかんだ買ってもらっていた。
そんな感じで今思えば”ある程度”不自由のない生活をさせてもらえていた、一般的な家庭といったところだろうか。
外面でいえばそれでそう見えたと思う。だが、当時の僕は違う感じ方を持っていたんだ。
「兄弟仲は両親仲の鏡」だと僕は思う。家庭内別居をしていたし、面と向かうことがあれば大体喧嘩していた。
ご飯も基本は節制だったし、着る服もおさがりが普通。おかげで今でもファッション感覚が皆無な体に育ってしまった。
このころから漠然とお金には興味があったんだと思う。
「なんで僕の家庭にはお金がないんだろう」「僕の家はどれくらいお金を稼いでいるんだろう」から
「どうすれば同じような生活から脱出できるのか」みたいなことを考えていた。
資産構築は大学時代から。
前述したように、ある程度不自由はしていなかったものの、決して余裕はなかったからアルバイトのお金はできる限り貯金した。
その結果、大学3年生までに100万円ちょいは貯めた。特殊なことはしておらず、単にいろんな場所で103万に収まる範囲内で働いた。
支出するお金が多分他人より圧倒的に少なかった。服や旅行に使う頻度なんかは個人的には満足してたけど人に比べれば少なかったと思う。
「貯金構築」から「資産構築」へ移行したきっかけは新型コロナウイルスだ。大学4年生の際に流行ったため家にいる時間が圧倒的に増えた。
その際に取り組んだのが株式投資だった。当時は株価が暴落していたため僕は長期的に見ればいいタイミングだと思って始めた。
ここの詳細な話はまたするとして、大学を卒業するころには200万円余りまで貯蓄され、学資保険も渡されたこともあり最終的に350万円くらいはあったんじゃないかと思う。

転機の社会人生活:営業・事務職として駆け抜けた4年半
新卒から3年間の東京勤務での一人暮らし、その後1年半の名古屋勤務
社会人となってからは東京でキャリアをスタートさせた。東京ではついに一人暮らしをスタートさせることとなった。
初の一人暮らしということでかなり不安が大きかったが、いざ始めると僕にとっては生まれたてくらいの新鮮さがあった。
家賃を負担しないといけないと考えるとかなり腰は重いかもしれないが、若いうち、独身のうちに一人暮らしはしておいたほうがいい。
そのあとは1年半名古屋で生活することになる。この時は親元に転がり込むことになるんだが、「やっぱり一人暮らし好き。」ってなった。
さらに言えば、慣れ親しんだ名古屋に戻ったこともあり、刺激がとにかくない。どこ歩いても新鮮さがないのが僕には退屈にかんじた。
僕が従事していたのはIT関連の機器メーカーの営業を約3年。そして事務(人事・労務関係)を1年半くらい経験している。
私が従事していた営業ではコロナ期もあり、体育会家の飲み会などはほぼなく過ごせたのはいいギャップだったなと感じる
一方で人事と労務関係では閉鎖的で会社判断が遅くなりがちである状況をまざまざと見せつけられた。
このあたりの話も今後させてもらえたらと思う。
ITのBtoB営業として成長できたこと
まずはIT(NW系)営業として成長できたことは普段我々が使っている、Wi-Fiやインターネット回線、モバイル回線の仕組みが
論理的に理解できるようになったことだ。現代においてこれはかなりいい知識になっていると感じている。
就職する前はWi-Fiとルータとインターネット回線の違いさえもまともにわからなかったが、人間とは不思議なもので、
日々会社に向かうにつれだんだんとその理解度が高くなっていったと思う。
2つ目は世の中安ければいいということではないということ。普段の生活ではきっとその製品の最安値を血眼になって探しているだろう。
もちろん、製品を買うにおいて安いに越したことはない。だが、BtoBの世界ではそんな単純な話ではないということ。
問い合わせにいかに迅速かつ正確に回答できるか、相手の求めていること以上の回答ができるかなど、製品だけではない、
様々な要因がお客さんの心を動かす。当時の私にとってはそれが新鮮だったし、奥が深く今でも難しい。
事務職としての苦悩
この事務職は私にとって一つの挫折だと感じている。「向いていない仕事」なんてないと思っていたが、"それ"は突如現れたわけ。
何で挫折したかというと、求められる「正確さ」だった。日ごろの旅費交通費や給与の計算など、これは1円たりともミスが許されない。
一方で人間はミスがつきものでもあるため、Wチェックなどが日常なのだ。
事務作業を行う中で私はこの正確性がどうも性に合わなかった。もちろんすべてが手作業な訳ではなく、大半はシステムを使って定型化されているが、最後はやはり人の目が判断するわけなのだ。私は基本数字が違っていたのでその訂正のコミュニケーションを行わなければいけなかった。細かいミスを指摘され続けることは私にとってかなりしんどいんだなとこの時初めて知ったのだ。
仕事の内容は性に合うものでなかったが、仕事そのものは私にとって大きな気づきを与えてくれた場と考えている。
例えば労務だ、営業の時は「残業時間」のことをそう深くは考えていなかった。ただ、会社は従業員に残業させるために、
36協定などいろいろな契約を結んでいるのだ。会社を経営するうえでこれらの細かい制約があることを知れたのは
ふとした時に仕事に活かせていると思っている。
①の最後に
生い立ちはここまでにしておいて、次は具体的な内容
記事を書いて気づいたらこんなにも長くなってしまった。
次回の自己紹介は最初に話したようにブログを書く決心がついた、「資産構築」についての生い立ちみたいなところを書いていきたい。
大体この手の記事というのは怪しい情報商材であったり、有料メルマガ配信だったりへつなげるものになるだろう。
ここで注意していただきたいのは、私はあくまで「補助輪をつけて走ってみる」ところをお手伝いするだけということ。
情報商材や有料メルマガは補助輪どころか、「ロードバイクを使って日本中を駆け回る」フェーズだと思っている。
世の中にはいい商材があるかもしれないが、99%はそれぞれに適していない商品であろう。
資産を築くとはなにか、何もわかっていない状態でそんなものに手を出したところでだまされるに決まっている。
今の僕はある程度そのライン引きが出来ているのではないかと感じている(そんな商材怖くて買えないのが本音かも。。?)
それは紛れもなく今日まで僕が営んできた生活が醸成してくれたものであると感じている。
これから書くブログはそのピースをちまちま書いていくものなので、これを読んでくれている人の何かヒントになってくれれば幸いだ。